朝日新聞書評しなかった本 2003/07-09

宮田和保『意識と言語』
 いやあ、教条主義的マルクス主義者というのは、言語学でさえマルクスさまに依拠しないとダメなのね。その意味では笑える本ではある。大久保そりやの『共産主義的SF論』を思い出した。が、とても書評に耐える本ではないし、他の人に読んでほしい本でもない。

野村旗守『Z (革派) の研究』
 1人が読んで放出したのをもらってきた。「とりあげたらヤバイ」というので、こわいもの見たさ。「オウムの次は核ル!」と帯にうたった勇ましい本。前半の、早稲田大学の攻防、中間のJRの話などは興味深いものの、後半は内部の勢力争いや周辺動向に関する憶測に終始して歯切れのよさに欠ける。紹介する必要はあまり感じられない。

上岡直美『持続可能な交通へ』
 車が嫌いな「市民」の、とにかく車を減らせというだけの本。郊外型ショッピングセンターができて商店街が衰退するのは車のせいだとか(ホントか? そしてショッピングセンターのよさはどうして無視するの?)、コミュニティは自給自足すべきだとか(なんで?)変なお題目がてんこ盛り。その対策として出てくるのは、公共交通に乗りましょうとか車にもっと税金をかけましょうとか。車が嫌いで減すべきだと主張するのは結構だけれど、この人の考える「持続可能な交通」の全体像はまったく見えず、批判だけでかくて対策は小手先。反自動車の理屈を探している人には便利かもしれない……と思ったが、こないだ読み返して、反対派も絶対に使っちゃいけないことに気がついた。だってこの人、費用便益分析ってまるでわかってないのだ。費用の中に、平気で税金入れているし(社会全体で見ると、税金は個人から政府にお金が移るだけで費用にならない)、だから税金を含めた個人コストに社会費用を足して、ダブルカウントもいいところ。さらに、渋滞の被害を受けるのは社会だ、とか(渋滞に巻き込まれてる個人のほうがよっぽど迷惑なのだ)。そして最悪なのが、便益の計算が一切ない! コストだけ見てでかいでかい、と騒がれましても。基本中の基本がわかってない無意味な本。

若島正『乱視読者の英米短編講義』
 英米短編についてのおもしろいエッセイ集。とても楽しいし勉強になる一冊。同じ短編でも、凝った読み方をしているなあと関心させられる。それだけに、一つ一つが小粒におさまりすぎていて、こっちに飛び出してくるようなおもしろさの手前でまとめているのがちょっと不満。ちょうど書評を書きすぎていることもあってパス。

シュワルツ『チョコレートを食べても太らないってホント?』
 暮らしの化学の手軽な説明。同時に、ユリ・ゲラーなどのインチキについても手軽な説明があり、科学読み物としてよくできている。ただ、タイトルに偽りあり! 本書には、チョコレートを食べて太るかどうかの議論はない! チョコレートがポリフェノールを含んで体にいい、とは書いてあるのだけれど。それが気になって(それにすでにたくさんやりすぎているので)落とす。あと、一日アスピリン1錠で心臓病のリスクが大幅に減るそうな。勉強になります。

アクセルロッド『対立と協調の科学』
 これはあの、アクセルロッドの協力ゲームをいろんなところに応用すると何ができそうか、という論文集。おもしろいんだけれど、目新しくはない感じ。やっぱりあの最初の実験の話をきいたら、みんな考えることだ。もっと早く出ていればなんとかなったかもしれないけれど。あと、レビューの順番待ちから見て、掲載の余裕がなさそうだったこともある。

クラーク/グルンスタイン『遺伝子は私たちをどこまで支配しているか』
 答えはもちろん、かなり支配している。ただ、完全ではなくそこに自由意志の働く余地があるのだという話。おもしろいんだが、この手の本の常として、まあ予想通り。新しい発見はなく、知っていることのおさらいに終始するのは、まあしょうがない。他にたくさん書評を書いてしまったこともあり、パス。

ムロディナウ『ユークリッドの窓』
 幾何学の話。ユークリッドから超ひも理論まできれいにまとめている。あと、装丁というか本の感じが、草思社のと似てる。内容的には、以前書評した『ヴィッキー・ライン』と似ているけれど、あれよりちょっと高度。楽しく読めるし、よい本なんだけれど、印象的にヴィッキー・ラインと重なるのと、書いても掲載する余裕があるかどうかわからん(昔はみんなあまり書評を書かなかったので、書けばなんでも必ず載ったけれど、いまは書評委員が多くなってみんなまじめなのでわからん。しばらく前に書いたものすら順番待ちだ)。だからこれも見送り。

戸田山和久他『心の科学と哲学:コネクショニズムの可能性』
 ある意味でおっかない本。特に序文のあたりで、哲学の人々はコネクショニズムについてアレコレと議論をしつつ、実際にそのコンピュータモデルとかその他を見ようともせずに、ろくに知りもせずに話をしていたのだ、というのをふざけたつもりで書いているあたり。読んでて倒れそうになりました。真っ先に既存研究や先行事例を見るのが当然だろうに。それもしてなかったのぉ? そして実際に見たくせに、言語処理その他での、コネクショニズムやニューラルネットアプローチの限界についても、どう考えているのかさっぱりわからん。「いまコネクショニズムではどんな具体的な成果があがっておるのか」「そして現在の限界はどこにあるのか」という疑問をまったく整理することなく、哲学的な妄想がだらしなく展開されているので、とりあえず話題があるから騒いでみました、という印象が強い。戸田山の本だと思って期待したのに……

岡部光明『経済予測:新しいパースペクティブ』
 あのー、ちっとも新しくないんですけど。「経済予測は各種学問領域を必然的に総合化する一つの領域」というのが、この人に言わせると目新しいらしいんだが、その上にある「各種学問領域」の一覧を見ると、マクロ経済学、国際経済学、経済政策論、経済史、日本経済論、経済統計論、情報検索論、計量経済学、経済変動論、情報処理額と、経済学のサブ分野しかないじゃん。アホか。これが「各種学問領域の総合化」かね。タコツボ経済学者以外にはまったく説得力のない物言い。著者の視野の狭さも知れようというもの。内容的にも、予測手法についての記述は実に浅くて、後半に入ると著者のあまり新規性のない経済論説が並ぶだけ。つまらん。

高松次郎『不在への問い/世界拡大計画』
 かつて赤瀬川原平らとともにハイレッドセンターを作っていた、その「ハイ」こと高松次郎の著作集。実はこれ、欠席してたときのリストから、題名だけで選んだんだが、失敗。世界はちっとも拡大しません。ゲージツカのヨタがひたすら並ぶだけ。昔はこういうのを、何か深淵な思考が展開されているみたいだなあ、と霧の中にいるような思いで読んでいたものですが、いまはもう我慢する気はありません。

チャイティン『セクシーな数学』
 うーん、残念。これはとてもじゃないけど無理! ほかの書評とのかねあいで、とても時間的に入りきらない。フィリピンに持って行けばなんとか押し込めたかもしれなかった、と後悔することしきり。魅力的な本なんだけれどなあ。なんかべつの形でどっかで紹介するようにしたいっす。

エリアーデ『エリアーデ幻想小説集 1』
 青柳さんの放出をひきとった。「令嬢クリスティナ」も「ホーニヒベルガー博士」も「ムントゥリャサ通りにて」も「19 本の薔薇」も、全部持ってる人間としては複雑な心境の本ではあるけれど、名作ですからね。……と思ったが、ちょっと他に扱うべき本が多くてパス。2 が出たらまとめてやりまーす。

ラインゴールド『スマートモブズ―“群がる”モバイル族の挑戦』
 ほとんどの人がケータイを使っているところに数年遅れでやってきて、「ケータイってのがあるぞ、iモードなんてのもある。すげーぞ」と騒いで見せている年寄りの冷や水本。おっさん、今頃なに言ってんの? 検証もあまくて、フィリピンでアローヨが政権をとったときに、みんながSMS(ショートメッセージ)でやりとりしてた、というのでケータイが政治を変えた、と言いたがるんだけど、フィリピンはSMSが安いからみんなやたらに使うの。SMSがなかったらアローヨが政権をとれなかっただろう、という説得力ある議論はまったくなし。SMSがなければほかのメディアが使われたんじゃないの? それに現実にケータイの使われ方を見ると、ぼくはかれが言うほどオープンな社会性を持った使われ方になっているとは思わない。電車の中や会議室や教室のケータイ利用が物語るように、それは一方で既存の社会性を破壊する機能も持っている。本書でもそれについて指摘はあるんだが、まあどっかで言われているような話の繰り返しにとどまっていて、結局何か新しいことが言えてるわけではない。さらに、本書で「モバイルだから」ということでひとくくりに扱われているものは、ホントに同じものの一部と考えていいのかどうか、ぼくは怪しいと思う。なんか新しいコミュニケーションメディアができるたびに、個人と個人の新しいつながりだの社会変革だの騒ぎ立てるのは、もう飽きた。

ヴィリリオ『ネガティブホライズン』
 『知の欺瞞』以来、こうした本が理解不能でも安心できるようになって、精神の健康にはとてもよろしい。「速度とはサブリミナルな光だ」なんてたわ言を前に特に悩む必要はなくなった。本書も戯言力全開。また訳者は、ソーカル&ブリクモンについてさりげないふりをして言及しつつ、ヴィリリオがどれほどこてんぱんにコケにされているかについてまったく言及しないという誠実さのかけらもない対応。p. 177の、ロレンスの引用を見て、それに対するヴィリリオのまったくピントはずれなコメントを読み、さらにエリアーデが星占いブームに見て取った哀しみを思い浮かべると、ヴィリリオって何もわかってなくて、単に局所的な思いつきと連想だけで文を書きつられているんだな、というのが見えてくる。

永みね『ホロコーストの力学』
 昔『マルコポーロ』にガス室はなかった記事がでたけど、それをきっかけにかかれた本で、まあガス室はあってホロコーストもありました、という話。それを各種資料を使って検証し、さいごにガス室否定論について批判。本のほとんどが、細かいナチス史のあれこれに費やされていて、専門家でもなければ特に関心を持てない本。特に、そもそものきっかけから8年もたっちゃうとねえ。あと、副題の「独ソ戦・世界大戦・総力戦の弁証法」って意味不明。



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YAMAGATA Hiroo (hiyori13@alum.mit.edu)