(『論座』2007年1号)
山形浩生
話題性、重要性、下世話な楽しみの各方面から見て、レヴィット、ダブナー『ヤバい経済学』(東洋経済)は今年の経済書分野で最大の収穫。ロートル経済学者たちが「経済学はお金の話ばかりでけしからん」といった晩節を汚す妄言を次々に吐くのを尻目に、お金以外のものをきちんと扱ってみせて、インセンティブの学問としての経済学を次々に展開した本書の功績は絶賛もの。そしてそのネタが、どれも笑えるものばかり。相撲の八百長、ギャングの家計簿、出会い系サイトや不動産の広告文句、選挙運動の費用等々、どれも飲み会のネタにすぐ使えそう。数学ができないと経済学はわからんと思っているあなた、年末の読書に是非どうぞ。まだまだやることは残っているのです。
風化しつつあったソ連の強制収容所をクローズアップし、その実態、ソ連経済に占める位置づけ、そして解体までの歴史をたんねんにたどったアップルボーム『グラーグ』(白水社)は、二〇世紀社会主義の歴史の暗部をえぐりだす重要な力作。日本ではソルジェニーツィン『収容所群島』も復刊され、タイミングもよかった。ソ連の強制収容所は、日本などの社会主義シンパが主張したがるような、スターリンだけの暴走の結果などではなく、ソ連経済におけるインフラ整備のための不可欠な存在として当初から位置づけられていたというのは、社会主義という仕組みの根幹に関わる指摘。未だにそこから目を背け続ける、欧米の左翼系知識人に対する本書の批判は、日本においてはなおさら厳しい指摘となるはず。もちろん、かれらがその指摘をきちんと受け止めるわけはないが……
残り一冊、小説部門で川上弘美『真鶴』を挙げたいところだが、それはだれかが拾ってくれると信じて科学書。スタッフォード&ウェッブ『Mind Hacks』(オライリー)は自分の脳や精神でいろいろ実験してみようという変な本だ。錯視、盲点といった非常に常識的なところから、各種ドラッグ(カフェインとか)の与える影響のテストなど、脳科学や認知理論の知見を縦横にちりばめつつ、それらの成果を自分で実験できるというのは魅力。科学書だと多くは、書かれたことを「へー、そうなんだ」と鵜呑みにするしかないけれど、それを実際にどうやって試せるかわかるのは魅力的。脳は情報を効率よく処理するためにいろんなところで手抜きをしているのだけれど、それが我が身に起こっているのを確認できるのは実に新鮮。
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