ブックガイド:インターネットの思想のために

(『別冊AERA:インターネット生活術』)

山形浩生
 

  電子マネー。ウェッブにメールにイントラネットと、雑誌吊り広告には日々新語が乱舞する。書店にはインターネット本専用コーナーに、相も変わらぬ新雑誌ブーム。インターネットの革命だ衝撃だと、大仰な話はやたらに聞こえてくるが、どれも全然ピンとこない。

 なぜか。それは視点が間違っているからだ。電子マネーだのイントラネットだのは、ただの現象にすぎない。しかしインターネット(以下ネット)は、現象の集合ではない。それらの現象群を生み出す環境である。海のつくる波頭だけを見ても海は語れないように、現象のよせあつめではネットは理解できない。海を見る視点が必要なのだ。

 その視点は、ネットの根っこにある哲学・思想である。インターネットはそれが実体化した一つの(唯一ではない)形である。それさえ理解できれば、泡沫的な現象はどうにでもなる。

 方法は二つ。一つは正統的にその思想自体を追う王道。もう一つは、まず思想など無視しして具体的なモノの世界から入り込む、ハッカー流のパンクな道。が、コンピュータ/ネットの世界では、このパンクな道が王道と直結している。それがこの分野のいかがわしさとダイナミズムの源でもある。

 インターネットブームの引き金の一つは、アメリカの情報スーパーハイウェイ構想だった。A・ゴア他『GII 世界情報基盤』 (BNN) を読んでみよう。その明快(すぎる)思想とアーキテクチャ、およびその展開方針。思想から個別の現象への太い流れが見えるだろう。「まず思想」と申し上げた意味もわかるはずだ。もちろん本書は公式声明でありプロパガンダである。実際はこんなきれいごとではすむまい。それでもちまたの脳天気ないんちき「ビジネス」書に比べれば、有用性は雲泥の差である。ただし日本版監訳者のコメント類は信じがたいほど無内容で的外れ。こんな人が日本のインターネットの代表的論客なのだからお寒い限りだ。

 日本での思想なら、村井純『インターネット』(岩波文庫)が必読。著者は日本のネット草分け。一般的な解説(平易でわかりやすい)に加え、慎ましいながらも日本として何を守るべきかについての具体的かつ骨太な記述。日本へのネット導入にあたり、かれが何に直面し、何を主張してきたか。そこに見える哲学が重要である。

 岩谷宏『思想としてのインターネット』(ジャストシステム) は、タイトル通りの大上段な本だ。ネットをめぐる文明と文化様式に関する洞察はきわめて深く、ある技術の意義の読解も非常に示唆的だが、こと政治については小学生の学級会並の稚拙な議論が展開される。この組み合わせが面白い。大学を一つの核として発展したネットは、政治的にはかなり青臭い部分を持つのだ。『Software Design』(技術評論社)のかれの連載も、こうした欠点は抱えつつ各種現象の思想的解読という点で有用。雑誌自体も具体技術実用雑誌として非常に優秀だ。

 これに限らず、今のネット関連の議論は、政治の基礎を知らない人が「電子民主主義」を語り、経済のイロハも知らぬ人物が「電子マネーで経済革命」等の世迷いごとを平気で口走り、それがインターネットだからと傾聴される不幸な状況である。しかしネットはリソースの配分は変えても、根本的な力学は(短期的には)変えない。C・ストール『インターネットはからっぽの洞窟』でも繰り返し述べられている通り。いま重要なのは何が変わるかの知識よりも、何が変わらないかの理解なのだ。

 そこで読んでおきたいのがロジャース『コミュニケーションの科学』(共立出版)。基本的な人間のコミュニケーションの展開からコンピュータ等を論じている。現在のネットに関する詳細分析はないが、議論は実証的でわかりやすいから、読者自身でそれをネットに応用できる。コミュニケーションにおいて何が重要か、何が変わらないのか。まずこれで足下を固めたい。

 もっと抜群に楽しい読み物としては、ネット本ではないが高野豊『rootから/へのメッセージ』(アスキー)。本の大半は、著者の趣味の鉄道、ラジコン、新潟地震復旧などの話に費やされる。が、そこからいつのまにか一般的な洞察が抽出され、スッとコンピュータ管理に適用される様は、うますぎて恐いくらい。不思議な本だ。あなたがこれまでに獲得した世界への洞察は、(まともなものなら)すべてコンピュータにも通用する、ということがわかるだろう。もちろんネットにも。モノの視点からすべてを見通す、ハッカー的な香りも漂う。

 「変わる」話がしたければW・ギブスン『ニューロマンサー』(早川書房)を。ネットワークをモノや現象としてではなく環境として描いた初の小説だが、もっと重要なのはその世界観だ。自立的な巨大企業群。経済システムへの洞察。国家主権の把握。一読では理解しきれまい。もはや主役が人間ではなくなった世界での人間像。機械化文明の明日を考えるのに不可欠な視点である。冗談でもおとぎ話でもない。ポール・クルーグマン等世界最高の経済学者たちは、すでにその可能性を真剣に考えている。

 一方、雑誌のほとんどは見るだけ無駄。雑誌の大半は、所詮カタログ雑誌であり、新製品紹介とおちゃらけた感想文や身辺雑記の集積でしかない。まともな評価記事はほとんど皆無だから買いものの参考にもならないことが多い。

 その中でワイアードは、現象面も哲学面も、ビジネス面も文化面も技術面もすべてバランスよくカバーし、インターネット翼賛にも陥らず、しかもかなりの部分に思想と視点と評価が貫徹している優れた総合誌である。読みこなすのは至難の業だが、このレベルの話ができなくては、現実社会への応用はできまい。無理してでも読む努力をする価値はある。

 とはいえ、全員がそんな高水準を追求すべき理由はないし、そこそこのレベルで満足するという選択も確かにある。この点、『朝日パソコン』(朝日新聞社)は悪い雑誌ではない。可もなく不可も少ないが、初心者が全般的な状況を把握するには向いているし、現象解説も状況論もあり、バランスもまあまあ。

 同誌の連載を中心にした室謙二『インターネット生活術』(晶文社) も、雑誌同様、深い洞察も目新しい指向もなく「やってみました。こんなんでした」という程度だが、手近なところから体験するだけでも、それなりに見えてくる世界はあるということで挙げておく。ネットの世界に気楽に入るための気楽な読み物として、初心者には好適。

 最後にパンクなおたく雑誌の雄『ラジオライフ』(三才ブックス)。盗聴、テレカ変造に衛星放送スクランブル解除、テレクラ舞台裏にハッキングと、健全な市民は顔をしかめる記事ばかりだが、ネットに脈々と流れるハッカー思想の一端がここには確実に接ぎ木されている。徐々に抑圧されつつあるものの、ネットの未来への希望の一部は、未だにこの世界が担っているのだ。
 
 

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YAMAGATA Hiroo (hiyori13@mailhost.net)