非電脳三都物語:ベルリン・プラハ・クロアチア

(朝日パソコン 1995年8月くらい)

山形浩生



Berlin, BRD

 数年ぶりのベルリンは、大建築ラッシュだった。ブランデンブルグ門南のポツダム広場は、前はただの空き地だったのに、いまや統一ベルリンの中心オフィス街めざしてクレーンが乱立し、ついでにクレーンの鉄塔を使った、高さ60メートルの世界最大のブランコなんてのも出店している。チェックポイント・チャーリーの周辺も大再開発が進行中で、ここを貫くフリードリッヒ通りは巨大ショッピングモールになってしまうんだと。できあがってる建物も多くて、それがみんな強気なんだ。いやあ、他人事ながらホント大丈夫なのかしら。すぐそこのフランクフルトは、こないだまでフリーレント(テナント誘致の苦肉の策で、最初の数年の家賃を無料にすること)続出という噂だったのに。首都移転の効用ってそんなにでかいのかな(日本でもやればぁ)。

 ちょうどドイツのエスコムが、コモドール社倒産で宙に浮いていた名機アミーガの権利を買って生産再開間近とかで、それっぽい盛り上がりがあるかな、と期待してたんだが、なかった。ドイツはアミーガ勢がかなり強い地域なんだが・・・市内で見かけたコンピュータ屋はほとんど互換機にWindows。マックも、タヒロス(有名な不法占拠ビル。ヨーロッパでは、地主は土地を有効活用する義務がある。利用努力の見られない空き地や空きビルには風当たりがきつい。不法占拠だろうと利用してくれる連中のほうが公共のためだ、という観点で、この建物のように不法占拠が合法的に認められるという奇妙な事態が生じる。ただし法律的にかなりの拡大解釈となるので、どこでも認められるわけではない。警察などとの交渉も含め、かなりの政治力が必要となる)に巣くうアーティストなんかは、そこそこ使っていた。世界的に、そういうシェア分布なんだなあ。

 アーティストと言えば、ベルリンは2005年への都市整備方針が発表されてお祭り騒ぎで、それに便乗してクリスト(いろんなものを包んじゃう梱包ゲージツが十八番だが、包んだらどーだとゆーのだ! 日本では、茨城で傘を並べて人死にを出した殺人ゲージツ屋として有名だが、今回のイベントでは、そこらへんは一切触れられていなかった)が、昔の議事堂を包むという演し物を実施。いい加減マンネリでつまんないからやめればいいのに。橋や島を包んでた頃は、まあ目先が変わって許せたけど、今回のなんて話を聞いた瞬間に出来上がりの見当つくじゃん。電車の窓から見たときは、建物にカバーをかけてるからてっきり改修工事かと思った。とはいえ、縁日気分で屋台がいっぱい出て、クリスト・グッズなんかちゃっかり売っているのはご愛嬌。それとこの建物、この出し物が終わったら本当に改修工事が始まって、ノーマン・フォスター設計で、またもや議事堂として復活するとか。

 それにしてもここは、いかがわしい部分とおきれいな部分が平気で混在している。前出のタヒロス近辺は売春通りとしても有名だし、目抜きショッピング街クーダムもベルリン有数の売春地帯。東京でいえば、銀座の表通りで娼婦がたくさん堂々と客引きをしている感じ。いいねえ。



Prague, Czech Republic

 プラハではコンピュータ・ショーに出くわした。といっても小さいやつで、ブース数は100もあったかな。ここも互換機&DOS/Windowsばっか。マックが5ブースくらい。かつて「東欧圏は所得水準が低くて購買力がないから、互換機やマックは無理。C64とか激安8ビット機をばらまいて、徐々にコンピュータの浸透を図るのが得策」といった議論が真剣に取りざたされていたけれど、まるでそんな段階ではない。ショーだけで地域全体の傾向は判断できないけれど、ここでもウィンドウズ9割・マック1割のシェア比率は定着しているようだ。もっとも「それはビジネスユースの話だね。一般家庭はこんなレベルじゃないよ。みんな貧乏だもん。だから家庭用ならきみの言うような話もあり得る、かなあ・・・」とは、出展者の一人の言である。

 プラハは知識人系にはえらく人気のある街で、サイバーパンクSF作家ブルース・スターリングも絶賛していたけれど、個人的には雰囲気が重苦しくて、イマイチほめる気にはなれない。立ち並ぶゴシックとアールデコの建築に張り合えるだけの活動が街にない感じで、夜になると通りにいるのは娼婦ばかり。それもみんな歳をくった姐さん。一般人は、朝から酒場にこもってコーヒーより安いビール(ジョッキ一杯約40円)をがぶ飲みしている。でもライブハウスやクラブは優れている。特に共和国広場から大通りを少しカレル橋方面に行ったSubwayは、ジャズクラブとロッククラブが同居していて、気分次第で行き来できる優れモノ。ここで聞いたメタルレゲエバンドSLUTはすごかった。



Zagreb & Dubrovnik, Croatia

 その点、クロアチアは音楽的には最悪。いたるところユーロビート。しかもニルヴァーナのカバーとか、許しがたい冒涜を平気でやってくれる。ビール酒場兼レストランにパンクスっぽいのが群れていたので「いいライブハウスやクラブはあるか」ときいたら、即座に「ない」と言われた。「ユースクラブは、もし曜日さえよければ・・・」だがあいにくその日は悪い曜日だった。「戦争前は、もっとあったんだけど、観光客がガタ減りでみんな潰れた。今はステレオタイプの店ばっかで・・・」

 言うまでもなくクロアチアは、当時(現在も)ボスニアと戦争中。荒廃と貧困、絶望と物資欠乏があたりにたちこめ、人々は恐怖と絶望を目に浮かべて、隠れるようにして脅え暮らす。現地通貨は極度のインフレ。闇物資を求めてドルとマルクと売春が飛び交う――と期待していたのだが、見事に裏切られた。一見すると、戦争の影響は(たまに行き交う国連軍のトラックやジープ以外は)まったく感じられない。首都ザグレブはもちろん、アドリア海沿いのスプリットや、ボスニア国境から数キロのドゥブロブニクでもそうだ。どちらも、夕方になると町中の人たちが、カフェの並ぶ目抜き通りにやってきて、コーヒーとビールを飲みながら行ったり来たりしては社交している。それが自然に日々の暮らしの一部となっていて、すごく豊かな感じだ。

 さらに恐ろしいことだが、ここの女の子たち(素人。この国では、ついにプロは見かけずじまい)は死ぬほどの美人ぞろい。美人以外は街を歩いていないと言っても過言ではない。服は日本の女の子に比べれば明らかに安物(というかぼくに言わせれば、日本の女の子の服の趣味は無用にチャラチャラしてて、目先のブランドと小物にばっか金をかけてて、芯の部分の強い質感を軽視しすぎている)。でもファッションの六割は、服自体より着こなしの態度と自信だ。妙におどおどびくびくしている日本の子たちに比べ、自信を全身にみなぎらせ、決してうつむかずに世界をみまわすここの子たちのかっこよさ! カフェにすわってそれに見とれているだけで時間が過ぎる。平和だ。

 だが、ちょっと気をつけてみると、戦争の痕跡は確実にある。弾痕の残る壁。爆撃の跡。屋根の吹き飛ばされた廃屋。CD屋で駄弁っていると、そんな話になってきた。美人しか町にいないというのも、実は戦争の痕で、ちょっと歳のいった連中は戦争に出てしまっているから人口が若い方に偏っているだけなんだという。

 「正直言って、外でニュースを見聞きしているだけだと、いったい何で戦争してるのかさっぱりわからんのよ」と言うと、「そりゃしかたないよ。だって、現場にいるおれたちさえ、なんだかよくわからんのだもの」という。「向こうが民族主義的なスローガンをあおるから、こっちも対抗上そういうムードを盛り上げようとはするけどさ、でも向こうとこっちの違いってのが、急ごしらえのセコイ話ばっかなの。アホくさくって」 「とは言え、爆撃されるとそうも言ってらんないからね。それに見ろよ。外にいるのは、年寄りと若いのばっかだろう。真ん中が戦争でとられてるんだよ。おれの兄貴も・・・」その通りだった。

 だんだん雰囲気が沈んできたので、話題を変えようとあたりを見回すと、店のレジの向こうに置かれたコンピュータが目に入った。互換機くさい。「一応ここって、IBM使ってるわけ? やっぱそれが主流なの?」「え・・・知らね。興味ねーもん。売れたらここで打ち込むだけだよ」という画面は、帳票管理というにはあまりにお粗末な、ただのエクセルの画面だった。
<終>

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