朝日新聞社系の各種雑誌/新聞


 最初は、高校時代の同級生が朝日新聞社にいって、朝日パソコンに配属になって、巻末のコラムを書けって話できたわけ。その後仕事がぜんぜんこなかったので、ああ、お気に召さなかったのねー、と思ったら別の機会に別の編集者がボストンに連絡よこして、「別冊でアメリカ旅行やるから手伝え」とかで、その後ちょくちょく使ってくれた。
 その後、ときどき編集者に気に入られるとしばらく連続して使われる状態が続く。

排出削減慎重派の翻訳をする理由 pdf(「論座」2008 年 7 月)
 炭素排出削減に対する懐疑派の本をたくさん訳してるのでこんなのがきた。でも、ホントはなぜ訳すかといえば、依頼がくるからというだけなんだけどね。
創作活動の民主化と著作権 (「論座」2007 年 12 月)
 なんだか著作権関係のミニ特集をやりたいとかで、白田さんとかも書いたのかな? 何人かで、まあいつもながらの話を書いた。ここに挙げたのも、焼き直し感はあるが、同じネタでそうそうちがうこともかけないもので。
ゲーム脳のすすめと人類の進歩 (「論座」2007 年 2 月)
 ゲーム脳や水からの伝言を批判する特集記事の一環みたいにして登場。菊池さんや田崎さんのまともな批判とあわせて、ちょっとおちゃらけっぽい添え物として登場させてもらえたんだと思う。それとちょうどジョンソン本を訳してそのからみもあったはず。
2006年私の選んだ3冊 (「論座」2007 年 1 月)
 年末の、今年の三冊。「ヤバイ経済学」「グラーグ」「Mind Hacks」、honorable mention として川上さんの「舞鶴」を入れた。まあ穏当な線ではないでしょうか。
本棚拝見 (「論座」2006 年 10 月)
 なんか連続して登場。自宅の本棚を見せました。別に依頼に対してそんなに渋った記憶はないんだけど、まあそういう話しの作りもありってことで。
『ヤバイ経済学』:お金だけが大切じゃないことを、説教としてではなく理論的に解明しようとする経済学の新潮流 (「論座」2006 年 8 月)
 前作が好評だったので、次も是非書いてくれとのご依頼。迷わず、これ。もっともっと評判になるべき本だと思うのだ。少しは売れたようで何よりだけれど、このころはまともな書評をほとんど見かけずにいらだっていたところだし、お金ばかり追求する経済学はよくないといった年寄り経済学者の繰り言にはいい加減頭にきていたので、両者を組み合わせてみたらこんなんなりました。
『アンビエントファインダビリティ』:軽薄ながらも一貫性あるネット未来像の提示 (「論座」2006 年 7 月)
 急に、ネットっぽいものをやってくれというような依頼があったのかな。このワタクシに論座が依頼するとは何を考えているのでしょうとは思いましたが、頼まれて断るわけにはまいりません。一応、この本はアンビバレントながら好きな部分が多かったのだ。結局時代は、アンビエントファインダビリティよりはウェブ2.0の議論のほうに話が進んでしまって、本書の議論はその一部的な扱いなのかな。
「やっぱり本屋が好き」アンケート (「論座」2005 年 5 月)
 論座の本屋アンケート。特にこれということもなく依頼があった。とくにこれと いうこともなく答えた。
もったいないインパク (「朝日新聞」2001年5月19日)
 インパクがらみのネタはほかのところでも書いていたが、まあそれの甘いヤツ。でも、なんかいっしょに出た写真が結構アレだったようで、うーむ。こわい。掲載時がモロッコ・チュニジア行脚中で、しかも戻ってすぐまたプラハに行ったので、実はまだ見ていない。こわい。
RSA 56-bit 陥落(「朝日パソコン」1998年2月)
 暗号解読。この頃はまだマイナーだったので、ベスト100に入ったり、あるいは数週間ためて一挙に送ったりすると一日王者になれたりして楽しかったんだが……
インターネットの思想のために(「別冊AERA:インターネット生活術」1997年10月)
 やったぁ、AERA 進出、と思ったけどこれっきりだな。
Hackers in New York!! (「朝日パソコン」1997年7月)
 これを書いたら、最後のところでいろんないたずらを紹介した部分にクレーム。「ここに書いてあることって、決していいことじゃないですよねえ」「朝日パソコンがこういう行為を奨励しているかのようにとられると困る」……バカかね、あんたらは。
汎用の美学:エミュレーションの夢
Amigaという知る人しか知らない、変なよじれたコンピュータがあって、それをマックにするソフトとハードがあるんだ。それのすばらしさについて書いた原稿。なお、文中にかつてApple IIに標準装備されてた 16bit CPU エミュレーションソフト Sweet 16 について触れたんだけど、担当者がアップルに問い合わせたら、そんなのは知らないと言われたとか。「記憶違いでは?」とか言われて、あたしゃ怒ったね。同時に、何か自分がずいぶん年寄りに思えたせいもあるけど。でも、これって実在したんだよ。
WIREDの苦悩
ジェニファー・キャラハン再び! このころの WIRED 本国版は本当につまんなくてさ。なお
ビデオ・オン・デマンド(「朝日パソコン」1996年12月)
 アイデアは悪くないと思うんだけど。
サイバー国防の幕開け(「朝日パソコン」1996年12月)
 どっかで読んだサイバー国防演習の話。RAND からもわざわざ報告書を取り寄せていろいろ調べたが、まあこんなもんでしょう。担当編集者は珍しく、話のうらとか出所とかをいろいろ気にしていて、珍しくプロっぽい。
非電脳三都物語(「朝日パソコン」1995年8月)
 朝日パソコンの担当編集者がアサヒグラフに移って、だから最後に好きなの書いてくださーい、というので、ただの旅行記。ベルリン、プラハ、クロアチア(ザグレブ&ドゥブロブニク)。ただし、売春婦ネタは全部削られた。
MIT電脳娘の年末年始デジタルカルチャー本指南(「朝日パソコン」1994年12月)
 まあ読んで字のごとし。語り手のジェニファー・キャラハンは、当時の知り合いや同級生 5 人くらいのごった煮に山形味を足したものだけど、万が一にそなえて一応 jcallahan@mit.edu アカウントは用意したのだ(無駄だったけど)。実際にこんな都合のいい女の子がいるわけないじゃん。でも、Absolutely Fabuolous はどっかでやんないかなあ。無理だろなあ。あと、この常温核融合雑誌って、大真面目でほんとに笑えた。Over The Edgeがたった 4 号かそこらでつぶれたのは、まったく意外。
米国電脳スラング講座 (朝日パソコン増刊「Computing U.S.A」1994.4.25)
 掲載時には「Let's Talk Jive」とゆーすごいタイトルに変えられていた。なんじゃい。おれがまるでアホではないか。でも、ありがちなスラング紹介の羅列にならずにちゃんと文化的な背景まで押さえたのはえらいと思わない?
米国電脳雑誌事情(朝日パソコン増刊「Computing U.S.A」1994.4.25)
 上のを送ったら、おもしろいからもっと書け、と追加で注文がきた。実はこの二つ、はからずもぼくのいちばん得意なツボにはまったので、こっちもほいほい書けた。なお、弊社の藤元はこれを読んで、ここに載ってる雑誌を全部うちの図書館でとらせようとした。でも、かなりマイナー雑誌も多くて、ほとんどすべてもうつぶれてしまってる。3Wなんか本当にかわいい雑誌で好きだったのに。
新しい変な日本(「週刊朝日」1994年頭?)
 ハンター・トンプソン書評が気に入ってもらえて、またなんかやりましょう、と言ってた矢先に「どうも最近の『週刊朝日』はお下劣(下ネタが多いという意味で。赤星たみこがかなり一部の逆鱗にふれたらしい)でいかん」と粛正が入って、担当の人が変わってしまった。これはその最後っぺで「なんでもいいからむちゃくちゃやってください」との要望に応えたもの。まだ遠慮が見られていかんね。いまならもっとむちゃくちゃできるのに。でも、これがそのまま載ったってのもすげーよな。
いけいけわれらが腐れオヤジ!(「週刊朝日」1993年末?)
 ハンター・トンプソン「アメリカなんとかの終焉」(原題 Song of the Doomed)の書評。まあもともとおもしろい本かと言われるとアレなんだが、ほめろっていうことでほめた。悪い本ではないんだ。でも翻訳はへたで、その旨ちょっとふれた。そしたら編集の人が「あの訳者ってうるさい人らしいですよ」と連絡をくれて、なるほどなにやらわけわからん抗議文がきた。おれの翻訳はまちがってない、という。で、まちがってるよ、あと数百カ所はまちがってて、しかもそれが白を黒と訳すようなでたらめで、構文レベルのとりちがえまみれでまったくなってないと返事を書いてあげた。そしたらなんとボストンまで電話をよこし、40分にわたって怒鳴りちらしたあげく、自分のまちがいは「ネイティブにきかないとわかんない」と逃げ、あげくに「そう、わたしもでたらめ、あんたもでたらめ、いま日本の翻訳はみんなでたらめだ、それをいっしょに告発しよう」とかい言い出して、ああこの世にはなんかバカを通り越してゴキブリみたいな恥も慎みもなにもないゴミクズみたいな人間がホントにいるのね、と感心。
 ちなみにそいつは副島隆彦とかいうヤツで、当時は予備校の教師(!!)で、友だち(某大学助教授)が出入りしている政治学研究会にやってきては中身のないことをわめき、指摘されると「あんたらはアカデミズムの地位もあるが、わたしなんかたかだか予備校教師で」と泣き言に走るので有名だったとか。副島の低劣さは別のところでも指摘されていて、品性下劣は隠せないことがよくわかる(というか、隠す気がないから下劣なのかな)。
切り貼りマルチメディアの時代 (「朝日パソコン」1991年?)
 最初のやつ。高校の同級生だった鍛冶の発注。この時期にこれだけのことを言えてたってのは、やっぱ先見の明があった、と言っていいんじゃない? なお、掲載時には、この編集者へのお手紙に入ってる「だれでもかれでも創造力なんか持ち合わせちゃいない」というのが気に入ったとかで、最後のところはそれで書き直されてた。結果としてよかったんじゃないかなと思う。



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