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alc2010年12月号
マガジンアルク 2010/12

『山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 52 回

イギリスのスパイ組織 MI6 の内幕と作家たち

月刊『アルコムワールド』 2010/12号

要約:イギリスMI6の歴史を描いた分厚い本が出ておもしろい。イギリスは、海外をうろつく作家たちをやとって積極的に情報収集をさせていた。アーサー・ランサムやサマセットモーム、ロレンス・ダレルもその一部。他の国ではどうだろう。そして作家たちはどう思っていたのか……


 先日、イギリスの諜報スパイ組織MI6の本格的な歴史を描いた本が出版されて、一部では話題になっている。かのジェームズ・ボンドこと007の所属組織ですな。分厚い本だし、ぼくもまだまだ読み終えてはいないのだけれど、その創設期から二〇世紀初頭の社会主義成立期の暗躍ぶりとか、なかなかおもしろい。ダレるところもあるけれど、やっぱり歴史の裏舞台という感じで、わくわくさせられるのはまちがいない。とはいえ、イギリスにかなり特化した本なので、翻訳は出るかな。

 さてその中でおもしろいのが、MI6がいろんな作家をスパイとして雇っていること。サマセット・モーム、グレアム・グリーン、そしてぼくが子供時代に胸を躍らせつつ読んだ「ツバメ号とアマゾン号」シリーズを書いた、アーサー・ランサムまでが、MI6の傘下にいたのか!

 とはいっても、考えてみればこれ自体はそんなに目新しい話ではない。グリーンやモームには、諜報員ものの小説もあるから、その手の話を知っているんだろうというのは見当はつく。そしてアーサー・ランサムが、少年少女ヨット冒険シリーズを書き始めるのは、引退して結構高齢になってからで、その前はロシアで革命家にインタビューしたりしているので、まあ言われてみればそうなってもおかしくないな、というところ。

 それに、MI6に雇われていたからといって、みんながみんな殺しのライセンスを持ってクレムリンに侵入したりしていたというわけじゃない。諜報員の仕事の大半は、普通の情報収集だ。『やばい社会学』で経済学者ヴェンカテッシュが、麻薬や売春を扱うギャング団に入って取材したり、ジャーナリストがラオス山奥のアヘン王に取材したりするのも、活動としては諜報と同じだ。作家たちが雇われていたのも、そういう取材の一環ではある。

 でも、二〇世紀前半から半ばの作家たち――特に海外を放浪していたイギリス作家たちの多くはかなりその手の情報収集に関与しているようだ。かれらの多くは、旅先で食い詰めるとその地の大使館に雇ってもらって糊口をしのいでいる。名作アレクサンドリア四重奏で知られるロレンス・ダレルもその口だ。ちなみにアレクサンドリア四重奏も、何も知らない作家がエジプトの民族運動や秘密結社の活動の情報収集に利用される話ではある。かれもその手の諜報の世界を知っている。

 これに対して、アメリカ人はあまりそういうことはしなかったみたいだ。CIAの職員が、若造の癖にやたらに現地で派手に金をばらまいて情報収集をして、すぐに正体がばれてしまうというのが常道だったとか。ちなみに、『舞姫』を読むと、森鴎外も大使館から仕事をまわしてもらったりしているけれど、そういうのはあったんだろうか? とはいいつつ、日本の大使館はあまり情報収集が上手でないとも言われていて、一部の国では、現地の新聞さえろくに読んでいないと陰口をたたかれているのだけれど。

 でも、そういう作家たちもスパイもの小説で書いていることだけれど、スパイの存在理由たる秘密は、それ自体が独自の病理と毒を持っている。秘密はそれを共有する人々の怪しい結びつきを作りだしてしまい、まったく意味のない情報であっても、それが秘密だというだけで何やら価値ありげになってしまうし、それが秘密であるが故に、検証も困難になってしまう。そしてやがて、客観的にはまったく意味がないのに、単に秘密であるというだけで変に重視されて流通する淀んだ情報の山が生み出され、多くの諜報機関はそのよどみに沈んで自滅する。CIAがイラクでやった、ありもしない大量破壊兵器情報はその一例だし、そしてMI6も同じ病理のために、その存在意義をだんだん減らしていったようだ。

 作家たちの一部は、それに敏感に気がついていたようだけれど、かれらはそれをどう思っていたのかな。



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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