『山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 51 回
月刊『マガジン・アルク』 2010/06号
要約:いろんなところで日本人は、自分の責任でないことにまでいちいち頭をさげて申し訳ないという。自分の責任範囲外ですというのをはっきり言って、バカなゴネ屋を排斥した方がいいと思うんだが。
先日、久々に国内出張というものをやったのですよ。ぼくはずいぶん長いこと国内出張というのをやっていなくて、昨年久々に新幹線で大阪に出張したときに、ついつい飛行機の癖が出て、出発前にテーブルをあげてシートの背を起こし、シートベルトをしようとしたら、なんとシートベルトがない! 思わずパニックを起こし、いっしょに出張していた同僚に「おい、これシートベルトがないぞ! どうしよう」と言って死ぬほどバカにされたので、少々トラウマではあるのだ。
さて今回の出張先は福岡で、飛行機で行ったのでシートベルトもちゃんとあり、それ自体はよかったんだけれど、たまたま強風で、ぼくの乗った便の直前まですべての便が欠航、その振り替えでかなり混乱はしていたのだった。そしてもちろん出発前の機内アナウンスでは、強風でスケジュールが乱れて申し訳ない、たいへんご迷惑をおかけしました、とお詫びが流れていた。
さて、ぼくは毎回この手のアナウンスを聞くとちょっと居心地が悪い思いをするのだ。別に風が強かったのは日航のせいじゃない。だから別に、日航が迷惑をかけたわけじゃないのに。だから謝ってくれなくてもいいのに。しばらく前に、成田空港で国際宅配便の飛行機が横風にあおられ、実にあっさり横転して炎上した映像を見たこともあって、むしろ無理に飛んでくれるなとぼくは思ってしまうのだ。むしろそれをきちんと判断してくれたことに感謝したいくらい。
でも、もちろんそういう(たぶん心にもない)お詫びをしなくてはならない事情もわからなくはない。飛行機の欠航はおろか、電車がちょっと遅れたくらいですら、何の罪もない駅員に、居丈高に食ってかかっているバカはしょっちゅう見かける。おまえのような連中を守るために、欠航したり使いのメンテナンスを講じたりしているというのに。それを見るたびに、そういう連中を集めて電車に詰め込んで「おまえの要求通り命の危険があるときでも無理して運行したぞ、死んでも文句言うなよ」と言ってものすごい怖い思いをさせるべきだと思うのだ。
むろん、そういう連中に限って、何かあったらあったで「責任をとれ」とか「安全に配慮しなかった」とかゴネるに決まっているのだけれど。
というようなことを承知はしているのだけれど、でもときどき、こういう本来お詫びとかしないでいいことまでヘコヘコしているのを見ると、そこは胸を張って「おまえらの安全を考えて欠航にしてやったから感謝しろ」と居直るべきじゃないかなあ、などとついつい思ってしまうのだ。だって……筋からいえばそうだと思わない?
というような話を先日、知り合いのスッチーさん(という呼び名は今は使わないのは知っているけれど)としていたら、そういう道理をわきまえてくれるお客さんにはいつも感謝はしているんだが、でもやはりうるさいやつを黙らせるのが優先されるので、なんだかんだ言いつつゴネ得になってしまうのだ、という。「ホントはちゃんと理解してくれるお客さんのほうをよい扱いにしたいし、また安易に頭を下げるのでゴネるお客さんをつけあがらせるのもわかってはいるんだけどねー。でもやっぱりそのときは、その場をおさめるのが最優先になっちゃうのよねー」とのこと。
まあぼくも、自分たちが悪くなくてもお客さんに頭を下げるのは何度となくやっているし、最初の頃はそれが悔しくて泣きそうになったりもしたけれど、いまや何のためらいもなくヘコヘコできるようになってはいるし、そこらへんの事情は十分にわかってはいる。それでもなんだか、未だに割り切れないものを感じてしまうのは、ぼくがいい歳をして未だに大人になりきれていないということなんだろうか。