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alc2010年01月号
マガジンアルク 2010/01

『山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 47 回

チャンギ空港アナウンスに見るシンガポールの国民性

月刊『マガジン・アルク』 2010/02号

要約:シンガポールは几帳面な国だが、チャンギ空港のアナウンスがやたらにはやくて、だれもそれを信用しなくなっている。几帳面さも裏目に出ることもあるのかもしれない。


 シンガポールという国は、おおむね効率がよく物事がキビキビ動くし、ビジネスにはそんなに悪いところではない。遊びででかけておもしろいところかといえば、うーん、正直言ってつまらんところだと思う。香港なら遊びで行くが、シンガポールに遊びでいくことはないと思うけれど、でもシンガポールに仕事にでかけたら、たぶん当初の目的も達成できる。うちあわせも時間通りにはじまり、きちんと終わるし、データも資料もある。

その他の点でも、仕事はやりやすい。交通も整然としているし、また混雑度に応じて高速道路の料金を変えたりしたり進入制限をかけたりと、他の国では民主主義的な反対が起きてできないようなことも強権的にこなせてしまい、インフラの関係者などとしてはうらやましい限り。もちろんそうした強権的な規制があるためにガムはダメとか一部のチャンネルが家で見られないとか、いろいろ不自由もあるし、おかげで一部の人たちは、シンガポールは明るい北朝鮮だなどと悪口をいうけれど、でもその手の強権主義は、その強権を握っている人が正気であるうちは(本当に北朝鮮にならない限りは)、民主的な面倒な手続きをふまずにすむので話がはやくすむ。

というわけで、仕事に関する限りはシンガポールは結構なんだが、毎回一つだけ――特に飛行機の乗り継ぎのときには――気になる変な癖があると思う。

シンガポールのチャンギ空港は、やたらに搭乗口のアナウンスがはやいのだ。

チャンギ空港では、ゲートオープンの表示が出ても、搭乗口にはだれもいないことがほとんどだ。搭乗開始と言われてゲートに言っても、搭乗が始まっていたためしがない。そしてファイナルコールがかかったときですら――そしてあわてて走ってゲートにかけつけても――搭乗は始まっていないし、ゲートが閉じたという表示になっていても、まだ人はぞろぞろ搭乗の行列に並んでいたりする。

そして多くの人はそれを知っているので、いまやチャンギ空港ではみんな表示などほとんど気にしない。

たぶんそれも、原因はシンガポール的な几帳面さなんじゃないかという気もする。かれらとしては、時間通りに人々を飛行機に乗せて、時間通りに出発させたかったのだろう。だから、少しはやめにゲートの表示を出す。そうすれば人が早めにくると思って。でもしばらくそれをやるうちに、みんなだんだん賢くなる。表示をあまり忠実に信じなくてもいいし、少し遅めでもいいかと思うようになる。それに対応するために、空港のほうではさらに表示を早めに出すようになる。するとそれに気がついた人々はさらに表示を割り引いて解釈するようになり……

そんなことを繰り返すうちに、いまのような状況が到来する。そしてその結果が理想的かというと、そうでもない。まず、なれていない人は表示を律儀に信じてゲートにあわててかけつけ、だまされたと思って不機嫌になる(実際、本気で怒っている団体客を何度か見かけた)。一方、あまりになれすぎてまったく表示を無視したために、乗り遅れそうになったり本当に乗り遅れたりする人も出てしまう(これも見かけた)。そもそも上の空で乗り遅れるひとは、何をやっても乗り遅れる。そして結局大半の人は、表示など関係なしに普通に搭乗時間にゲートに行って、普通に飛行機に乗る。

余計な小細工なしに、多少遅れる人がいても普通に表示を出しておけば、少なくとも律儀に表示を信じる人の不満は避けられて、不幸な人はいまより半減するのではないかな、とチャンギ空港で乗り換えるたびにぼくは思うのだ。策士策に溺れる、という話の見本ですな。

ときどき、シンガポールを見ていると他の場面でもそんな雰囲気を感じることがあるんだが……その話はまたいずれ。



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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