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alc2009年8月号
マガジンアルク 2009/08

『山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 40 回

市民自ら、死刑執行スイッチを押せ!

月刊『マガジン・アルク』 2009/08号

要約:日本では、裁判員制導入で「一般市民が死刑判決を下すのは(その市民にとって)残酷」というあまっちょろい意見がある。でも民主主義なんだからいまでも市民は間接的に死刑に責任を負う。アメリカは、死刑執行のボタンまで市民に押させる。日本でもそれをやるべきだと思う。自分の市民としての責任を真に果たすためには。


 アメリカという国は、世界的に愛憎分かれる国ではある。いいところもいっぱいあるが、悪いところもいっぱいあるし、老獪なところもあれば、妙に青臭い書生談義じみた理念を平然とふりかざしてみせて、世界を唖然とさせることも多々ある。

 でも、その青臭い部分こそアメリカのいちばんいいところである場合も多い。だれでも社会の代表として、話し合って犯罪を裁けるはずだという陪審員制は、通常なら小学校までしか許されない発想だけれど、アメリカはそれを平然と実際に導入してしまい、いままで続けている。そしてそれが民主主義にとって持つ意義は、かつてトックヴィルを驚愕させた。それは日本がこんど裁判員制度で真似ようとている部分でもあるけれど、うまくいくといいな。

 そしてそれだけじゃない。アメリカは判決を下すだけでなく、処刑にまで一般市民を関わらせようとする。一部の州ではかつて死刑執行のスイッチを一般市民代表に押させるようにしていた。電気椅子の電源や、薬物注入の開始スイッチを普通の人が押すのだ。実際にはその市民も複数いて、数人が同時に複数のボタンを押し、回路をランダムにつなぐことで、だれのボタンが実際に手を下したのかわからないようにはしていた。でも、だれかはやっている。ぼくはこれがとてもいい制度だと思っていたんだけれど、まだ続いているのかな。アメリカでも死刑はどんどん人気がなくなってきていることでもあるし。

 なぜそんなことをするのか? その背景には、社会というもの、特に民主主義社会というものについての厳しい考え方がある。社会というのは、みんなが楽しく好きなことをしていればいい仲良しクラブではない。社会が社会として成立するためには、人々は自分の財産や自由をある程度は犠牲にしなくてはならない。社会のために、ある程度はいやなことをやらなくてはならない。でもそれによって協力が可能になり、一人ではできないような大きな成果があげられるようになる。

 そして、社会がまとまるためにはルールが必要であり、それに違反した場合の罰則が適切に行われなくてはならない。刑罰なんていうのは、恐ろしい「権力」が人民を弾圧する手段でしかない、といった発想の人もいる。でも民主主義社会は国民主権だから、その「権力」とはまさに人民そのものだ。民主主義社会が成立するには、権力たる人々がすすんで違反者に対する罰則を実施しなくてはならないのだ。社会が社会として成立するには、その一人一人が、社会のルール違反者に対して、社会として定めた通りの厳しい対応を行わなくてはならないのだ。それがその違反者を殺す、ということであっても。

 これを実際に導入できてしまうのが、アメリカのすごいところだ。スクランブル回路で多少はごまかしても、実際に手を下したのは自分かもしれないと人々が思い、そしてそれがどうしても必要なことなのだと無理にでも納得する――ぼくはそれが社会的に重要なことだと思う。人々がその重みを感じ、その意味を考えることが、民主主義にとって決定的な意味を持つと思う。

 実は日本でこんど始まる裁判員制度というのも、多少はそういうことを意識していたはずだ。反対論が最近になっていろいろ書店に並ぶようになってきてはいる。でもその多くは、いたいけな一般市民が、容疑者に直面させられたり、陰惨な殺人現場写真を見せられたり、まして死刑判決を余儀なくされたりするのはかわいそー、ひどい、といったくだらないもの。あるいは、一般市民はバカで無知だから感情的な判断しかできず、えらい裁判官様とはちがってまともな判決なんか下せない、というものだ。でも、民主主義というものを多少なりとも信じるなら、この反対論はどれも笑止でしかない。民主主義が成り立つためには、主権者が自らその犯罪現場を見て、判断の責任を自ら引き受けなきゃいけない。それですら甘い。判断だけじゃなくて、実際に処刑まで引き受ける――それが理想的な社会のあり方だとぼくは思うんだが。



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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