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alc2009年7月号
マガジンアルク 2009/07

『山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 40 回

クメールルージュ裁判の茶番性と意義

月刊『マガジン・アルク』 2009/07号

要約:カンボジアでは 2009 年現在、クメールルージュの犯罪者裁判が進行中で、いま収容所のドッチ所長の裁判中。でもこの裁判、本気でやったらカンボジア人の半分以上を断罪しないと。そしてドッチ所長、どうせ有罪に決まってるけど、死刑にもできまい。結局なんらまともな結果が出そうにないんだが。


 最近仕事でよくカンボジアに行くのだけれど、毎回少し気分が暗くなるものがある。実は現在、カンボジアではかつてのクメール・ルージュ幹部たちを裁く国際法廷が開催中なのだ。

 クメール・ルージュは、ポル・ポト配下で自国民の数割に相当する二百万人とも三百万人とも言われる人々を死に追いやった。まったくの空理空論に基づく悪政による餓死者、スパイ摘発のためと称する相互の密告とつるし上げ。そこには、ほぼあらゆるカンボジア国民が何らかの形で荷担していた。そしてもちろん、発見された「スパイ」は拷問され、大量に殺された。でもポルポト政権が倒れた後も、その無数の死をもたらした最高幹部たちは責任を追及されることもなく、大手を振って平然と暮らしていた。それはまずいだろうということで、国連あたりがせっついて、この国際裁判を開催させているんだが……

 そもそもカンボジアの人たち自身はそんなことを望んでいるのか、という問題がある。クメール・ルージュ時代の惨状は、仕方ないとはいえ、国民のかなりの部分が直接的に荷担して、すねに傷持つ身だ。それをいまさら、四十年もたって掘り返したいか? いまの政権の要職に就いている人だって、それを言えば前国王のシアヌークは特にクメール・ルージュの協力者だ。本気で追求するとそれにも触れざるをえないけど、いいの?

 いまのハイライトは、拷問収容尋問施設ツールスレン S-21 所長のドッチの裁判だ。で、弁護側が何をしているかというと、裁判員の選出に汚職があったからやりなおせ、それまで裁判を止めろという手続きによる引き延ばし。それが本当に社会正義の発露といえるのか。そして、ドッチはもちろん、自分はいやだったけど当時の状況では逆らえば殺されたから仕方なかった、責任はないと主張する。でもそんな言い分が通るなら、だれも何の責任もないことになる。最大最悪の拷問施設の所長が有罪にならなかったら、だれが有罪なんだ?

 そう考えると、この裁判は本来やるまでもなく結論が決まっていることがわかる。かつてのクメール・ルージュ最高幹部が、証拠不十分だろうと何だろうと無罪になったら、だれも社会正義が貫徹されたなんて思わないだろう。つまりこの裁判と称するものは実は裁判なんかじゃない。それっぽいポーズでしかないのだ。そこがまずげんなりするところ。

 そして……そろそろ裁判の判決ということを考えなきゃいけないんだけど、たぶんそこがまた大いにもめるところだ。

 ぼくは本来であれば死刑しかないと思う。全員。かれらのために家族を殺されて生活を破壊されたカンボジア国民に、何らかの正義の存在を印象づけるなら、何百万人もの死に対してわずかなりとも報いを感じさせたいなら、かれらを公開銃殺刑にでもするしかないと思う。懲役? かれらはみなすでに高齢だし、何年もつことか。いやそれ以前にたぶん牢屋に入って数週間で病気を口実に設備のいい病院に移されることになるだろう。ぼくはそれで満足する人が少しでもいるとは思えない。

 でも先進的でブンメー的な国際法廷の裁判官は、たぶん死刑などという野蛮なことはできまいよ。すると結局、この裁判で何が実現されるの? どう転んでも、だれにとっても納得のいく結果なんか出ないというのに。

 この裁判のために欧米の高い弁護士がいっぱい雇われて、かれらはウハウハだ。ぼくのいるホテルもそんな連中が大勢いる。それだけの金を、援助機関(つまりぼくたち)も出し、カンボジア側も負担させられ、結局何の成果もあがらないのが見えている——毎回それを見せつけられるのは嫌なものだ。フン・セン首相は、とにかくさっさと終わらせようと言っている。その通りなんだけどいまの状況ではどう見てもそうはなるまい。で、この裁判って何のためのものなんでしたっけ?



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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