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alc2009年6月号
マガジンアルク 2009/06

『山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 39 回

小さき物の大いなる思想

月刊『マガジン・アルク』 2009/06号

要約:タタ自動車のナノが発売され、日本では揚げ足取り報道しかないけれど、でも結構いけそうだ。ネットブックもそうだし、新しいカテゴリーの商品が今後途上国から登場する事例は増えるだろう。


ぼくは車は持っていないし、日頃ほとんど運転することもないのだけれど、車そのものには結構魅力を感じている。スポーツカーとか、四駆とか、特に何か好きなジャンルがあるわけじゃない。でもこれは車に限ったことではないんだけれど、ある種の思想がはっきりあらわれるような車がある。そしてそのために他のものを犠牲にしてでも思想を貫徹させようという、割り切りのきちんとした車が好きだ。スポーツカーや軍用車にはそういう車が出やすい。途上国では、車をとにかく道具として使って、とにかくボロボロの中古車が走っている。それはそれでまた一つの工学的な思想のあらわれだ。マルタ島は、すべてのバスがなぜか五十年代のバスをそのまま見事に整備して使い続けていた。それもまたある種の思想の反映ではある。

 そしてそうした思想があらわれやすいのは小さい車だと思う。スマートが最初に出てきたときは、やはり衝撃だったし、あれは歴史に残る名車だと思う。そしてこんど、インドのタタ自動車が、二十万円で買える超低価格車ナノをついに発売した。ぼくはあれも、歴史に残る車になると思うのだ。

 ナノの人気は上々。まだ生産体制が弱いこともあるけれど、現在では予約がいっぱいで抽選でしか買えず、しかも本体価格の八割近い申込金がいるという高いハードルなのに行列状態。いまは目新しさが主体だろうが、実需もあるだろう。当初狙っていた貧乏世帯は当然。また二十万くらいの車なら、金持ちが二、三台ほど遊びで買っていじりまわしたり実験に使ったりという需要だってかなりあるはず。ばらしてエンジンや車体だけ別のものに使う利用もやがて顕在化してくるはず。車の使い方自体変わるかもしれない。うまくいけば、新しい車のジャンルにさえなるかも。

 全般に既存自動車系メディアの反応は冷ややかで、あれがない、これが駄目、安全性に不安、環境への影響が、目新しいものがない、エアコンつけたらかえって割高云々とケチをつけるのが流行のようだ。ぼくが見たところ、その多くはほとんど揚げ足取りか実物に基づかない印象批評だ。唯一、好意的だったのはイギリスの『エコノミスト』で、ちゃんとこの車の思想を理解し、いろんな工夫もきちんと評価したうえ、さらにもっと広く、今後の世界のイノベーションが先進国よりむしろ新興国から出てくる動きの先鞭として位置づけていた。

 それに実は最近ぼくたちは、このナノやそれに対する既存業界とメディアの反応とまったく同じパターンを目撃したばかりではある。それは、いまやパソコン業界の大きな波となりつつあるネットブックだ。

 機能限定、画面も小さいけれど、携帯性に富み、メールとウェブ閲覧くらいこなせればいいや、という発想でアスースを初めとする台湾メーカーがどっと発表した各種のネットブックは、お値段ほんの三万円かそこらという超低価格で人々を驚かせたし、いまや一大潮流となって各社が次々にバリエーションを出して落としどころを模索している状況だ。

 そしてそのときも、多くのメーカーやメディアはあまり色よい反応を見せなかった。マイクロソフトも最初は「うちはああいうのには手をださない」と一蹴してみせたりもしたし、キワモノ、ニーズは限定的だとかニッチやマニア向けとかくさしてみせる評論家も出た。でもネットブックは大きく売れ、新たなジャンルにさえなった。

 ぼくは、このナノが作り出す新しい車のジャンルも、このネットブックみたいなものになるんじゃないかと思っている。そしてほぼまちがいなく、中国の自動車メーカーがナノもどきの人民自動車を出してくるでしょう。他の途上国も追随するんじゃないか。先進国は、しばらくは各種規制で数十万の安手自動車の上陸を阻止するかもしれないけれど、でもどこかで自分たちも手をつけざるを得ないんじゃないかな。今後五年もしないうちに、都市の道路の光景はずいぶん変わったものになるかもしれない。



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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