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alc2009年5月号
マガジンアルク 2009/05

『山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 38 回

ベトナムのオペラハウス、日本の歌舞伎座

月刊『マガジン・アルク』 2009/05号

要約:社会主義国にはオペラハウスが多いのだけれど、都知事は日本の歌舞伎座を、オペラハウスにしたいんだって。でもそこらへんの価値判断っておかしくない?


 社会主義国の多くには、なぜかオペラハウスがある。モンゴルのウランバートルにもあるし、ベトナムのハノイにもあるのだ。ソ連にあったのは、かつての帝政ロシアの名残だということで理解もできるけれど、新興社会主義国となるとよくわからない。ハノイのやつは旧植民地時代にできたはず。でもウランバートルは……なんだっけ。

 そしてかれらは一応、中身についてもそこそこがんばっているのだ。変な社会主義オペラでも上演しているのかと思ったらそんなことはない。その水準については、人によっていろいろ意見があるのでずっとオペラばかりやっているわけにはいかないのは当然だが、でも一応ちゃんと各種公演を入れてそれを支えているし、そして多くの国民は自分たちのオペラハウスをそれなりに愛していて、誇りにも思っているようだ。といっても別にきちんとアンケート調査をしたわけではないから、ぼくのまわりの少数サンプルの意見ではある。が、そんなに違和感はない。ハノイのオペラ座は、二〇世紀の末にかなり大規模な修復工事を経て、昔通りの姿をいまなお残している。

 さて、日本でも都知事はオペラ座(おそらくはフランスの)がお気に入りらしくて、あれのようなものが欲しいとある時のたまったのである。だがそれは、いまの東銀座にある歌舞伎座建て替え計画の検討委員会の前振りでのことだった。かれはいまの歌舞伎座を見て、あんな「銭湯みたいな」建物はいらないと言ったんだとか。ぼくはこの話をきいて、もともと大して評価していなかった都知事の文化的な鑑識眼について、さらに評価を下げたのだった。オペラ座に価値があるのは、必ずしもそれが建築的にすばらしいからというだけではない。それがある種の文化的なシンボルだからだ。いまの東京において、歌舞伎座が持っている文化的なシンボル製というものを理解できないんだろうか? そこにオペラ座もどきを持ってきたら何が実現できるとかれは思っているんだろう?

 そしてその歌舞伎座再建計画が先日発表された。なんだかすごい代物で、オペラ座にすらなっていない(なってたらもっと嫌だったろうが)。ガラス張りカーテンウォールのありがちなオフィスビルの低層部分に、いまの歌舞伎座の劣化コピーみたいな代物をくっつけた、なんだか実にがっかりするような代物だ。うーん、こんな代物でいいの?

 建て替えるにはもちろんそれなりの理由もある。耐震化が不十分で、現状のままそれをてこ入れするのはむずかしいとか。いまの歌舞伎座自体も、何度か改築を経て現在の形になっている。だから改築まったくダメ、という気もしない。下品で大衆的でケバケバしい歌舞伎のありかた――それは銭湯や霊柩車に通じるものでもある――をうまく表現した改築案なら十分にあり得るだろう。だが正直いって、いまの計画を見ると単にその後ろのオフィスビルの容積率が欲しいだけだろう、という気がしてならない。一応形ばかりもうしわけ程度に保存しましたという雰囲気は作っていて、それがなおさらあまり真剣に何を残すべきか考えていないのを示してしまっている。

 で、どうなのよ。本当にこんな改築したいんだろうか? いまの歌舞伎座は、日本の大きな観光資源の一つだ。日本はいま、観光庁なるものまで作って観光客誘致をしようとしている。こんなまたとない資源――あれほどわかりやすいキッチュなジャパネスクがあるか?――をあっさりつぶさせてしまっていいの? そして経済環境はここ半年で激変した。改築計画が検討されていた時期というのは、ここ二、三年の、日本の景気がちょっと回復してきたような雰囲気の時期だっただろう。当時はとにかくつぶして新しいビルを作れば儲かるような雰囲気もあっただろう。でもいまは、たぶんそれはない。作ってもテナントがすぐ入るなんてものじゃないだろう。だったらせっかちに壊すことを考えず、ゆっくり計画見直しをしてはいかが?



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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