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alc2006年11月号
マガジンアルク 2006/11

『山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 8 回

謎の赤いスイッチ:先人の知恵を侮るなかれ

月刊『マガジン・アルク』 2006/11号

要約:前回のフランス人の箱の小話が美しかったのは、最後に日本人技術者が勝利するからだ。でもハッカー界には、勝利しなかったときの話もある。後から見れば美しい話でも、それ以前の人々が実行に乗り出す勇気を持てなかったからといってあまり責めてはいけませんよ。


 前回までの数回では、手持ちの大ネタを気前よく切りすぎましわいた。ネタ切れ気味なので今回はちょっとしょぼいお笑いをしよう。

 二回ほど前、フランス人の箱の話をした。先人が残していったものを、自分で調べて自分の責任において変える――そこにこそ進歩があり、真の学習があり、本当の意味での「役に立つ知識」があるのだ、というのがそこでの主旨ではあった。

 さて、あの話が美しかったのは、そのフランス人の箱を取り除いたときに、本当に何も起きなかったからだ。本当に日本の技術者たちが正しかったからだ。

 でも、あの話と非常によく似た、まったく別のお話がある。ハッカーの世界に伝わる、有名な伝承の一つだ。

 むかしむかし(というのは二〇年ほど前)、ある有名な大学に計算機学科がありました。そしてそこのコンピュータシステムは、古いものに後代の人々が次々と新しい装置やユニットを追加していったために、だれもその全貌がわからない(宮崎駿のアニメにでも出てきそうな)かたまりになって、建物の地下室を丸ごと占拠していたのですが、それでもちゃんと動いて人々は平和に研究を進めておりました。

 さていつの頃からか、そのつぎはぎマシンのかなり目立つところに、大きな赤いスイッチがついておりました。そしてそこには「絶対に切るな!」という張り紙がしてあったのです。

 さてある日――もう予想がつくでしょう――それを見て好奇心の湧いた若きハッカー大学院生が、そのスイッチを調べてみました。注意してパネルをはずし、どこにつながっているか見ると――片方は、マシンのケースに、そしてもう片方は、壁に打った釘につながっているだけだった。中の回路とは何にも関係ない。なぁんだ、昔の学生どもの冗談だったのか。そう思った院生は、自信をもってそのスイッチを切ったのです。

 とたんにマシンはクラッシュして、建物中が阿鼻叫喚に満ちあふれました。

 いちはやく逃げ出した院生ですが、腑に落ちません。騒ぎがおさまった頃に戻ってきて改めてスイッチを調べ、改めてこれが何もしていないはずだと確信し、さっきのは何かの偶然にちがいないと考えて、再びスイッチを切りました。

 再びマシンはクラッシュし、今度は教授がとんできて、院生に大目玉をくらわしました。

 こうして生意気な院生は計算機道の奥深さを身をもって知ることとなり、そしてスイッチに触れる者はなくなって、計算機学科には再び平和が訪れたましたとさ――翌年、次の新しい生意気な院生どもがやってくるまで。おしまい。

 さて、これは笑い話ではあるんだが、十分あり得ることでもある。ケースに静電気がたまったりして、それがコンピュータの電子信号に悪さをする例が多々あるのだ。問題のスイッチは、たまたまその静電気を逃がすアースになっていたのかもしれない。

 が、もちろんこの話のツボはそんなところにはない。場合によっては、人はあまり自分の技術力を過信しないほうがいいこともある。フランス人どもは、こちらの知らない何かを知っていたのかもしれない。それの見極めは、後から考えれば簡単そうに思えるけれど、でも実はみんなが思うよりもむずかしい。あのフランス人の箱の話を読むと、人はついつい勇ましい考えにとらわれ、すぐに改革とか刷新とか小泉前首相みたいな口をききたがる。でも実際には、特に問題なく動いているものを下手にいじってかえって悪化させてしまう例も結構あるのだ、ということは皆様お忘れなく。そこはそれ、亀の甲より年の功と申しまして、意外と先人どももバカではなかったりするのですから。



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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