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alc2006年10月号
マガジンアルク 2006/10

『山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 7 回

技術移転と「フランス人の箱」

月刊『マガジン・アルク』 2006/10号

要約:フランス技術者は日本の発電事業者に「これには触るな」とブラックボックスを残していった。それに敢えてさわり、そのブラックボックスを自分のリスクでなくしたとき、日本の電力技術は独立できた。教育はしばしば教えたことを暗唱できればおしまいだと思われがちだけれど、教育が本当にめざすべきなのは、生徒が自分たちの教えたことを超えて、ときにはその知識で刃向かってくれることなのだ。


 前回に続いて、日本が途上国だった頃の話と、その日本が受けた技術移転の話をしようか。そもそも技術移転とは何をめざすべきなんだろうか、という話とともに。

 もちろん表面上は、技術移転は技術を学んでくれればいい。電気だったら、オームの法則と安全な工事方法をおぼえて等々。教科書に書いてある通りに学んで、卒業試験で80点とれば合格――

 でも実際には、ぼくたちが本当に技術移転で求めるのは――いや、それに限らず教育という行為すべてにおいて求めるのは――そんなことじゃない。ぼくたちが本当に求める(べき)なのは、教わる側がぼくたちの言うことを無視してくれることなのだ。

 その昔、日本は電力関係の技術の一部をフランスから教わっていた。日本人は富岡製糸工場と同じように、ぐんぐん技術を吸収して完璧に発電所を動かした。一年後、フランス人技術者たちは本国に引き揚げていったんだが……

 発電所の制御装置には当初から封印された謎の鉄の箱が接続されていた。そしてフランス人たちは、その箱についてだけは一切教えてくれなかった。立ち去るときにも「その箱は絶対にさわらないこと、こわれたら呼んでね」と言い残していったそうな。

 さて日本人たちは言いつけを守ってはいた。気にはなるけど、下手にいじって発電所を停めたらことだ。だが技術者たちはあの手この手で調べて、やがて出した結論は……

 この箱、まったく何もしていないんじゃないの?

 そして技術者たちは会社にかけあった。自分たちの技術力にかけて、これは何もしていない、我々を信用してこれを外させてくれ、と。

 さわらぬ神になんとやらという議論もあったが、やっとゴーサインが出た。そしてその当日、万が一にそなえて万全の体勢を整え、みんながかたずをのんで見守る中で、その箱からのびるケーブルが切られた。すると……

 何も起きなかった。

 溶接されたその箱を開けてみると、中は空っぽだった。本当に、それはただの箱だったのだ。

 一同は安堵のため息をついた。技術者たちは胸をはる一方で、「フランス人め、たばかったな!」といきりたつ人もいた。でも……とぼくにこの話をしてくれた電力エンジニアは言うのだった。その箱をはずしたとき、日本の電力は独立できたんです。そのとき日本はフランスの呪縛から逃れ、電力技術を完全に自分たちのものにしたんです、と。あれはフランス人が日本に置いていってくれた、卒業試験だったんですよ、と。

 わかるだろうか。教わった通りのことをひたすら暗唱するだけなら、ロボットで十分なのだ。本当に求めるのは、教わった側がその知識を使って教えた側を超えてくれることだ。それこそ、本当の教育であるはずなのだ。往々にして、教える側は(そしてもっと悪いことに教わる側も)それを忘れている。教科書を丸暗記して模範解答すればオッケーだと思っている。でも、そんなのは教育じゃない。テストで 100 点とって安心しているうちは、本当に教わりきっていないのだ。技術移転でも、その他すべての教育でも。

 ただこれは、むずかしいやね。言われてやる自立なんて、自立の名に値しないもの。だからぼくもときどき、フランス人の手口を使ってみたいなと思う。経済分析モデルを作ってわたすとき、謎の「山形関数」とかを作って(実はただの割り算)、そして 5 年後くらいに様子を見に行ったとき、「おいあの山形関数ってインチキじゃないか!」と怒られる――そんな体験をしてみたいなあ、と思う。ま、今のところぼくの生徒たちにはそれ以前の問題が山積みではあるんだけれど。



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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