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alc2006年6月号
マガジンアルク 2006/06

『山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 3 回

都市の美観と生産的な異文化誤解

月刊『マガジン・アルク』 2006/06号

要約:日本人には醜いと思える日本の景観――秋葉原の混沌、奇矯なラブホテル――を外国人がほめることは多い。もちろん文化は叩かれて強くなるので、そのガイジンどもの意見をすぐに入れろとはいわないが、そうした生産的な誤解は歓迎すべきだし、われわれも外国に対してやってあげるべきじゃないか。


 先日出席した秋葉原に関するシンポジウムでは、ドイツの建築家たちが秋葉原のおもしろいさを力説していた。建物が看板にくるまれ、道にポップやディスプレイがはみだして、店内と道の境界がわからない、なんていうつまらないことに感心してくれるので、まあ原住民の一人といたしましては、こそばゆいというかなんというか。

 これは前にもあって、かつて欧米建築家の間では日本のラブホテル街が大ブームだった。もちろん「いやあジョージ、日本人ってやつぁ得体の知れないものを作るねぇハッハッハ」という興味本意じゃないか、という意見はある。でも、少なくともそれが単純に否定すべきものだとは思われていない、という点は重要。日本の景観屋さんの多くは、アキバやキッチュなラブホ街はひたすらダメな「悪い景観」だと主張している。でも、そうじゃない。連中が実際にそこで生活したいかはさておき、わざわざ見学に行くくらいの価値はあると思われている。それは正統日本文化の立場からすれば、日本文化に関する誤解だろう。そんなの理念をもって構築された設計ではなく、成り行きでそうなっただけなんですよ、というわけだ。でもその誤解こそが新しい価値の発見となっている。

 これは日本に限った話じゃない。プラハにでかけると、新ルネッサンス様式の建物がたくさん建っていて、いまのぼくたちが見ると実に美しく町並みに調和しているように見える。でも、建設当時はさんざんだったとか。こんな軽薄で俗悪な建物が、景観破壊も甚だしい等々。今は美しく思えるあのニューヨークはクライスラービルのアールデコ装飾ですら、アールデコの衰退とともに一時はボロクソに言われたという。やがてその場所の因習や美学に染まりきっていない人たちが、その価値を再発見することになる。

 だからぼくたちもラブホ街や秋葉原の美しさを見直しましょう……というべきかどうか、実はよくわからない。美術でも建築でも、様式の強さというのはむしろそれがどれだけ迫害や罵倒に耐えてきたかで決まってくるようでもあるからだ。物わかりのいい顔をするより、少しいじめてやって鍛えたほうがいいのかもしれないとも思う。

 でも、いい加減いじめられているうちに、日本のアニメはいつの間にか日本を代表する文化/産業となった。そして秋葉原やラブホの風景、さらにはキューティー原宿系ストリートファッションには、それと共通する何かがある。実はいま、ゴシックやバロックやインターナショナルスタイルとも並ぶ(かもしれない)アニメ様式とかアキバ様式とも言うべき、建築からアートからファッションからすべてを貫く一つの文化様式ができつつあるんじゃないか――最近そんな気がしている。そしてぼくたちは、部分的には外国の人たちの誤解を通じて初めてそれに気がついたりもしたのだ。

 まあアニメ文化はしばらくは安泰だろう。でも一方で、それは逆の可能性を示唆するものでもある。ぼくたちが外国語を学んだりするのは、一般には異文化理解のためだと言われる。でもこうした生産的な異文化誤解というのも重要なんじゃないか。いやそのほうが重要じゃないか。他の文化を見て、ぼくたちはそれを積極的に誤解し、(相手には時にいやがられつつも)当人たちの見落としている魅力を発掘してあげられるだろうか? まだそういう例は寡聞にして知らないけれど、それができて初めて、本当に意味ある「国際交流」なんてものが成立したことになるんじゃないかと思うのだ。もっともなまじインターネットなんかが発達したおかげで、そういう楽しい誤解の可能性が失われつつあり……という話はまたこんど。では。



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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